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3年半越しの「私たちが、今のモーニング娘。です」

このところ展開が早いハロプロ界隈ではすでに旧聞に属することになるが、モーニング娘。が2013年7月29日に『しゃべくり007』に出演した。前回この番組に出たのは2009年12月21日、OGと一緒の『クリスマス2時間半SP』だった。このときの映像はYouTubeなどで検索すると出てくる。

この2009年の『しゃべくり007』は私にとって大きな意味を持っている。というのも、これが私にとっての、その姿を生で見る前の最後の道重さゆみとモーニング娘。の映像だったのだ。この後、勇気を振り絞って2010年正月のハロコンを見に行った。当時はいまのように気軽に行けるイベントがなく、新規のファンにとって一番ハードルが低いのはコンサートだった。


共演はなかったものの後半に別枠でゲストとして出たのが、いまモーニング娘。の応援役をやっているマツコ・デラックスだったのは面白い。もう1つ面白いのは、スタジオに入ってきたときに、先輩であるOGたちではなく現役メンバーが前列に並んだのはおかしいのではないかという司会者からのフリに対して、センターの位置にいた道重さゆみが「今のモーニング娘。は私たちです」と答えていることだ。

20130729-shabekuri-1.jpg


たぶん台本どおりの導入だが、この言葉はその後の展開の中ですぐさま相対化される。OGたちが前列に座って昔話を繰り広げ、「今のモーニング娘。」は昔のモーニング娘。と照合することによってしか価値が認められないというメッセージが発せられた。

あれから3年半が経って、「私たちが、今のモーニング娘。です」というコピーが巨大看板に書かれ、あのときと同じく道重さゆみによっていろいろな場で口にされている。ニュアンスはもう完全に、昔のモーニング娘。の否定だ。そのため道重さゆみのスタンスも変わり、いまでは逆に過去との連続性に肯定的に言及することが増えたように感じる。

公式チャンネルにアップロードされた「10/娘。ムービー モーニング娘。17年目も さあ、いこうか。」より: 「あなたの知っているモーニング娘。は、もういない」

mouinai.jpg


「あなたの知っているモーニング娘。」は「全盛期」のことであり、それには道重さゆみも入っていない。「あなたが知っている道重さゆみ」は「あなたが知らないモーニング娘。」から単身テレビ界に乗り込んできていた人に過ぎない。だからこそ、いま先頭に立って「私が、今のモーニング娘。です」と言う資格がある。


このていどに大胆なイメージ戦略を伴うプロモーションをなぜ行えないのか、という不満はメンバーもファンもずっと持ってきたわけだが、いまここに至ってみると、このタイミングは3年半前のあの頃からすでに予定されていたように思えてくる。最近の動きによって、ここ数年のモーニング娘。の見え方が変わった人は多いのではなかろうか。
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「世界で最も美しい顔100人」には大した意味がないということ

ずいぶん前のことになるが、高橋愛が外国の映画サイトの「世界で最も美しい顔100人」のリストにノミネートされた、という話がネット上でニュースになり、『ヤングタウン』でも話題に上ったりしたことがあった。最近、モーニング娘。に特に興味を持っていない人と話をしていて、この件が意外にも変な形で世間一般に知られていることがわかったので、この記事を書くことにした。

問題のサイトはこれ: http://www.tccandler.com/
問題の企画はこれ: http://www.tccandler.com/beautiful-faces/

日本語のインターネットの世界でこの件がどのように語られているかは、「最も美しい顔」で検索するとわかるだろう。2012年には日本からは桐谷美玲、佐々木希、黒木メイサが入選した。2011年には佐々木希と蛯原友里が入選し、高橋愛はノミネートされたが100位までには入らなかった。


この話を知って最初に思ったのは、国際的であるとはいえ、西洋人によって運営されているサイトのリストで、この面々が「美しい顔」として(他の大勢の潜在的候補に先立って)選定されるのはおかしい、ということだった。それが本当なら、この人々が入選したことよりも、そんなランキングが存在すること自体にニュース・バリューがある、ぐらいの意外さだ、と思ったのである。

それで実際にサイトを見に行ってみて、このリストには大した意味がないということがわかった。


● 何の権威もない個人の映画評サイトである

このサイトは「アメリカの映画サイト」などと紹介されているけれども、http://www.tccandler.com/about-the-site/を見るとわかるように、ロンドン生まれミネアポリス在住の、過去に共同で映画コミュニティ・サイトを運用していたことがあるプロのポーカー・プレイヤーが趣味で個人的な映画評を載せているサイトである。レビューがどこかにシンジケートされているわけでもない、何の権威もない普通の個人サイトだ。

念のため書いておくが、私にとってはこの手のレビュー・サイトに「権威がない」というのはポジティブな指標ではある。ただ、このサイトの映画評は単純にきわめて質が低い。映画好きな人はたとえばhttp://www.tccandler.com/movies-A/にあるタイトル一覧の☆の数をざっと見るだけでもわかると思う。まあこの件は話が逸れるのでここでやめておく。


● ノミネートと選定のプロセス

このリストの候補がどのようにノミネートされ、順位がどのよう決定されているかの説明はわかりやすい形では掲示されていない。2012年のリストのページ(http://www.tccandler.com/100-most-beautiful-faces-2012/)にある簡単な説明がすべてだと思う。

私がこのサイトを初めて見たときには、過去の年度のコメントが残っていて、そこに載せられたサイト・オーナーのコメントから、リストの選定プロセスを推測することができた。現在ではそれらの情報は削除されている(後述のように、Wayback Machineで確認できるが、面倒なので今回はチェックしていない)。

これ、自分がよく知らない「外国」の候補者については、サイトの訪問者が残しているコメントから名前を集めているのだ。現在のメイン・ページ(http://www.tccandler.com/beautiful-faces/)の下の方にあるコメント欄がそれである。

こうやって集めた名前をGoogleの画像検索で調べ、自分の好みに合った人をノミネートする。具体的な数字は忘れてしまったけれども、最初に数百人のリストを作るということだったと思う。

この数百人を100人に絞り込むプロセスに関しては、「知り合いにリストを送って投票してもらい、上位を選んでいる」というていどの説明しかなかった。どんなバックグラウンドの人たちが何人いるのか、どういう手順で投票・集計しているのか、などの具体的な話はまったくなかったので、そもそもそんなことやっていなんじゃなかろうか、というのが当時の印象だった。


● なぜ高橋愛がノミネートされたのか

いま存在しているコメント群を見るとわかるように、サイトを訪れた一般ユーザーが、自分の好きな女性の名前を列挙する。アジアを中心に、英米以外の文化圏の人たちが特に熱心だ。

で、高橋愛がノミネートされた理由は、そのときモーニング娘。のファンと思われる人がモーニング娘。のメンバー数人を推薦したから、である。

当時、けっこう頑張って調べたのでこれは確信があるのだけれども、ノミネートされた日本人4人(佐々木希、蛯原友里、高橋愛、上戸彩)のうち、2010年にすでにリスト入りしていた佐々木希を除く全員がこのユーザー・コメント欄で日本人の読者によって推薦された人だった。日本人が合計で何人だったかは覚えていないが、そんなに多くは(数十人という規模では)なかった。

ちなみにこのときには道重さゆみも推薦されていたが、モーニング娘。からは高橋愛だけがノミネートされた。


● なぜ道重さゆみやその他の人たちが落選したのか

1. 日本的な「かわいさ」忌避のバイアス

そのときのコメントに、別の日本人候補者について「われわれはこんな若い女性は好まない」という、いくぶん見下した語調のものがあった。これは好意的に見れば、若い女性をノミネートしても投票者は好まないからどっちにしても落選する、だからノミネートする意味がない、ということなのかもしれないが、いずれにしても日本的な「かわいさ」は最初から忌避するバイアスがあるように思う。まあこれは最終的に出てきたリストを見れば一目瞭然か。


2. Googleの画像検索で調べている

推薦された人がどんな「美しい顔」をしているかのチェックには、Googleの画像検索を使っているという説明があった。ということは、各候補者の名前をローマ字で入力して検索したときに、最初の方にどんな写真が出てくるかが決め手となる。

ちょっとやってみようか: "michishige sayumi"で画像検索

この検索結果はタイミングやユーザーの居場所(IPアドレス)などによって変わるだろうから客観的な資料としては使えないけれども、このやり方が抱える問題点は理解できるはずだ。2年前には、出てくる写真はもっと幼かったはず。

3. そもそも調べたのかどうか不明

プロセスが不透明なので、ノミネートされなかった人たちについてはそもそも審査が行われたのかどうかが不明である。


● なぜこんなものが注目されているのか

以上の選定プロセスを知った上で、改めて「最も美しい顔」で検索した結果を見ると凄まじい違和感があるだろう。なぜこんなことになったのか。

Googleで"TC Candler"を検索してみるとわかるはずだが、このサイト/企画は、アジアを中心に非英語圏の人々から特に注目されている。検索結果のスニペットには英語しか見えなくても、実際に飛んでみるとアジアの人が英語で作っているサイトだとわかるケースも少なくない。敢えて断言すれば、このサイト/企画は英米ではまったく注目されていないと言ってもよい。

そう考えると、これはスタートアップ・サイトが世界的なトラフィックを作る戦略としてはなかなか巧妙だ。日本語のネット世界で起こっているような現象が、他の非英語文化圏でも起こっているのだろう。「英米人が作った国際的な美しい顔のリストに、自国の女性が入った」ということだけで大喜びし、そのリストの意味とか価値には関係なく話題に取り上げられる。このサイトが年を追うごとにカバーする国を増やしているのは、このやり方に手応えを感じているからに違いない。


● Wayback Machineの参考リンク

現在のサイトから削除されている情報に関しては、いまでもWayback Machineでそこそこ調べることができそうだ(今回は面倒なのでチェックしていない)。たとえば、当時私が見た2011年のランキングのページはこれ:

http://web.archive.org/web/20120709180243/http://www.tccandler.com/beautiful-faces/most-beautiful-2011/

浅薄な解説とネットから拾ってきた写真がついていた。


● 個人的感想

おわかりいただけたと思うが、これはいかなる客観性もない個人的なリストに過ぎない。2012年度の1位にEmilia Clarkeを持ってくることからわかるように、基本的にミーハーである。英米以外の西洋諸国の候補者も、国際的に活動しているモデル以外は、英米の映画やドラマに出演して有名になった女優が多いという印象がある。

というように、いろんな問題を抱えたリストなのだが、私の中のミーハーな部分はこういうのもそこそこ楽しめたし、それ以外にもいろいろと考えるきっかけを与えてくれた。

最初に思いつくのは、なんで日本語のネット世界でこんなに話題になっているのか、ということで、ネット・メディアの質の低さとか、ネット上のミームの危うさみたいな話になる。これはしかし面白い話にはならないのでやめておく。

一番驚いたのは、このラインナップ(佐々木希、蛯原友里、高橋愛、上戸彩)を見て直感的に「おかしい」と思ったらしい人をあまり見かけなかったことだ。

今回ざっと調べてみると、あの頃と比べると違和感を表明している人ははるかに増えている(たとえば「世界で最も美しい顔 おかしい」でGoogle検索)。中国でもそんな話をしている人たちがいる(http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=68157)。

でも注意しなくてはならないのは、このリストの「おかしさ」から、「西洋人の美的基準はよくわからない」という結論を引き出してはいけない、ということだ。本記事で説明したように、このリストの審美的基準は一般的なものではなく、サイト作者の個人的好みである。そしてそれ以前に日本を含む非西洋諸国の女性に関しては、選定プロセス自体がいい加減すぎる。


人がどんな顔を「美しい顔」と認識するかはとても興味深いトピックだ。私の場合は、特に欧米の文化の中で、日本人を含む極東東洋人の顔がどのように評価されるかということに長く興味を持ってきた。これは単純に私が欧米の映画/ドラマのファンだから。

で、2012~2013年のいま、アメリカのTVドラマに主役級で出演しているアジア系の女性は2人いる。"Elementary"のLucy Liu (Googleで画像検索)と"Nikita"のMaggie Q(Googleで画像検索)。前者は特に、3大ネットワークのドラマでアジア系女性が主役を張るのは史上初めてであるだけでなく、シャーロック・ホームズ物のドラマなのにホームズを演じるJonny Lee Millerよりもワトソン(「ジョーン・ワトソン」なのだ)を演じているLucy Liuの方がギャラが高かったということで大きな話題になった。

こんな状況下で、佐々木希とか蛯原友里が「美しい顔」のランキングで上位に来るなんてそうとうびっくりする出来事なのである。高橋愛に関しては……ノーコメントということにしておこう。

口パク再論: Yahoo知恵袋の口パクに関する記事から来た人へ

このブログを読んでくれている方からのメールで知ったのだが、このブログのエントリを、文脈を無視して引用して利用している人がYahoo知恵袋に生息しているようだ。たとえばこれhttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1485643464 : 「AKBって口パクですよね。」。他にも似たような「アンサー」がいくつもある。

"michishigefan"を"detail.chiebukuro.yahoo.co.jp"でサイト内検索


この問題は、モーニング娘。のいまの新路線が世間に浸透するにつれて気にする人が増えてくる可能性もあるので、当該エントリの冒頭にポインタを置いて、新たにこの記事を書くことにした。

引用されているエントリは「2012年2月10日『ハッピーMusic』で新曲『ピョコピョコ ウルトラ』を披露」で、ここの


光井愛佳のパートであるAuto-tuneされた「言うだけ番長」を、たぶん音の差し替えを行わないまま、道重さゆみが口パクで代行している。ここの部分は、私も最初は誰が歌っているのかわからなかったぐらいに、道重さゆみが歌っていても違和感がないパートではある。10期が完全口パクなのは変わらず。


という部分が、「モーニング娘。が口パクをやっている」という主張の裏付けとして利用されている。でまあ説明しておくと、

● ここで出てくる光井愛佳という人は、CDの収録には参加して歌パートを持っていたけれども、足の怪我のせいで休養に入っており、この収録には参加していなかった。しかもそのパートは、当時のモーニング娘。ではまだ珍しかった機械処理を施されていた(だから「私も最初は誰が歌っているのかわからなかった」)。


● 10期メンバーは、これが初めて参加するシングル曲で、初めてステージに立ってからまだ1か月ぐらいしか経っておらず、テレビ番組でのパフォーマンスもこの曲が初めての完全な新人だった。


このように特殊な事情があったから、このテレビ出演でどのように処理されるかが興味の対象となった。そしてモーニング娘。にとっては普通でない事態だったから、わざわざ言及しているのである。


引用者の全体的な主張には反論する気もおきないが、「モーニング娘。は基本的に口パクはしていない」とだけは言っておく。

「基本的に」と書いたのは、いわゆる「被せ」と呼ばれる方法は常用しているし、テレビ番組の収録が典型だが、技術的制約のせいで一部のメンバーを除いてマイクが切られている状態でパフォーマンスを行うこともあるからだ。それ以外にも、上記のように経験の浅い新人のケースや、メンバーの喉の調子が悪いときなどに、明らかな口パクが行われることはもちろんある。CDのリリース・イベントで誤って歌声入りトラックが再生されてしまったという事件で、不測の事態に備えてそのようなトラックが用意されていることがわかったこともある。


そういう例外的状況はあるにしても、曲とダンスは生で歌うことを前提に作られている。たぶんアイドルのジャンルにおいて一番重要なのはこの点なのではなかろうか。つまり、生で歌うことを前提にして作られているかどうか、だ。生で歌わないのならば、歌い手の音域や技術を考慮せずに歌パートを作れるし、どんなに激しいダンスも踊らせることができるし、手でマイクを持つという制約に縛られることなく振り付けを設計できる。

いまのエレクトロ新路線で多用されるようになった、歌声の機械処理に関しては、私の見てきた範囲だと、基本的には「被せ」で対応しているが、事実上の完全口パクになっているケースもないわけではない。リアルタイムでの高度な(つまり単純なイコライザーとかフィルターとかそういうのの以上の)機械処理は、たぶんモーニング娘。はやっていないが、確信はない。


なお口パクの問題は単純な二項対立の問題ではない。これについては前に『リップ・シンキング/口パクについて』という記事を書いたので、関心がある方はどうぞ。結論を言えば、たしかに私は口パク容認派である。それに見合うだけの芸術的価値のある作品である場合に限って。

モーニング娘。のシングル曲のダンスがいまいちな理由

更新頻度が落ちたせいで書きたいことが溜まり、1つの記事が長文化して書くのが億劫になるというサイクルにハマってしまっているので、ネタを小出しにしていこうと思っている。今回は「モーニング娘。のシングル曲のダンスがいまいちな理由」についての妄想である。

2011年3月に「モーニング娘。のコレオグラファー」という記事を書いたときと比べると、かなりの情報が表に出てきており、モーニング娘。のダンスがどのようにして作られているのかが想像しやすくなってきた。

ここで取り上げるのは、最近のシングル曲の振り付けを担当しているYOSHIKOの、2012年11月19日のブログ・エントリだ。

http://ameblo.jp/yoshiko-445-yoshiko/entry-11407931998.html


昨日は
2ヶ月振り?に、M娘。のライブ観ました
ってか、ゲネプロ以来だったか

んー。。すごい期待して観ちゃったから
もーちょと成長してるかな~と思ってたので。。んー。。


2012年秋ツアーの話なので、この時点での最新シングル『ワクテカ Take a chance』のことだと思われる。この曲はコンサートのアンコール1曲目で歌われていた。

このナンバーのライブ・パフォーマンスは実際にあまり出来がよくなかった。私もコンサートの感想では「きわめて興味深いのだが、問題含みでもある」(http://michishigefan.blog130.fc2.com/blog-entry-430.html)と言及しているだけで、要するに感銘を受けなかったのである。これのダンス・ショット・バージョンのMV(http://www.youtube.com/watch?v=BWkAVXm0wtE)がモーニング娘。史上トップクラスの出来だということを思うと、深刻な事態だ。



上で紹介したブログの内容は、「自分の作品なのに、なんでそんな他人事みたいなの?」と言いたくなるようなものだが、このように他人事になってしまう事情が想像できて興味深い。以下、あくまでも妄想なので注意していただきたいのだが…


メンバーたちの発言などから推測できる、モーニング娘。のシングルCDの製作スケジュールは非常に厳しいものだ。私が抱いているイメージはこんなもの:

● 「マネージャーさん」から歌詞が書かれた紙とつんくの仮歌が入ったCDを渡される。

● それについてのメンバー間での会話や情報交換はほとんどないまま、各メンバーはそれぞれ別のスケジュールでスタジオに入り、1時間ぐらいでレコーディングを済ませる。ここにつんくは立ち会わず、細かい指示はレコーディング・ディレクターが行う。

● トラックが完成されると、コレオグラファーがコレオグラフィーを作って「教則ビデオ」を作る。メンバーはこれを各自自宅で見て「自習」。その後、2~3日間ぐらいの短期間で実地指導が行われ、すぐにMV撮影が行われる。振り付けの指導の際には、メンバー1人に1人の「先生」がついて、マンツーマンの「レッスン」が行われる。この「先生」は担当のコレオグラファーが連れてくる「弟子」や「生徒」だろうと思われる。


これ以降、コンサート・ツアーのゲネプロぐらいの節目以外で、シングルCDのコレオグラファーがモーニング娘。に関わってくるという印象はない。『ピョコピョコ ウルトラ』のラッキィ池田などは、MV撮影以降に一度もメンバーたちと顔を合わせていなかったとしても驚きはない。テレビやイベントでのパフォーマンスには歌とダンスの専門家が同行せず、口を出してくる周りの大人は「マネージャーさん」である。


モーニング娘。のメンバーをプロ扱いしている、と言えば言えなくもないのだが、歌にしてもダンスにしてもクオリティがいまいち上がらない、上がるとしてもスピードが遅いのは、このようにクオリティ管理の仕組みができていないためなのだと私は想像している。

これはいまの「新生モーニング娘。」に特有の現象ではなく、私がモーニング娘。を見始めた2009年の頃からそうだった。当初、私はこの歯痒い状況をもっぱら高橋愛のせいだと思っていた。なんせリーダーだし、ダンスもいちばん上手だ。みんなで踊っているときに一人だけ「意味をわかって踊っている」ように見えて、なぜその意味を他のメンバーたちに教えてあげないのか、と苛立ちを覚えたことも一度ではない。このようなグループ・ダンスで一人だけ「上手く」踊るのは、とりわけリーダーというポジションだったら、決して誉められることではない。


その後、こうなる事情もなんとなくわかるようになってきた。モーニング娘。は「メンバーたちが1つの目的を目指して一致団結してパフォーマンスを磨いていく野心あふれるダンス・グループ」というようなものではないのだ。この手のダンスを踊るのは、たいていそんなグループだったので勘違いをしてしまった。これは各メンバーの注意が「指導者」に向いていて、指導者の寵愛を受けようと競争するライバルである「ダンス・カンパニー」に似ている。

たしかに昔から「モーニング娘。のメンバーはライバル同士である」というメッセージは発せられてきた。この仕組みは、テレビに出て目立つことが最重要で、ステージ・パフォーマンスは二の次だった「昔」のモーニング娘。には適していたのだろうけれども、ダンスの要求水準が本人たちのスキル・レベルを明らかに超えてしまったいまのモーニング娘。に果たして合っているのだろうか。というのが、この春ツアー冒頭のシングル曲4連発を見ていて思ったことだった。


当然のことだが、「ダンスの要求水準が本人たちのスキル・レベルを明らかに超えてしまった」というのは、メンバーたちの責任ではなく、コレオグラファーの責任である。継続的な指導やコレオグラフィーの微調整をできない環境にあるのなら、その環境でも大丈夫なコレオグラフィーを作るべきなのだ。それなのに、上で紹介したブログの文章は無責任に聞こえる。

こんな言葉が出てきてしまう背景には、コレオグラファーの待遇の悪さがあるのではないか、というのが私の想像だ。昔のモーニング娘。の振り付けを担当し、いまよりもずっと表に出てきていた夏まゆみは、その後、コレオグラファーの地位が低いことに対する文句をいろんな場所で発してきた。まあこの人はそういう文句を言いたがるタイプの人みたいだけれども、そもそもコレオグラファーがクレジットされないという事実一つをとってみても、その重要さに見合うだけの位置づけがされていないということは想像できる。細かいフォローを行うだけのお金も貰っていないし、そういうことをする権限とか雰囲気もないのだろう。


これに関連して興味深かったのが、ドリームモーニング娘。の活動時期に出てきた『LOVEマシーン』の振り付けの話だ。このときに矢口真里が、「『LOVEマシーン』の振り付けは時が経つにつれてキレがなくなっていった。夏まゆみが指導するドリームモーニング娘。のダンスこそが正しいダンスだ」という趣旨のことを言っていた。

これに対応して現役メンバーたちは、この手の「古い」楽曲の振り付けは先輩から後輩に教える伝統芸のようになっていて、それさえも不可能な場合には昔のDVDを見て真似をする、というような発言をよくしてきている。

このように、古い楽曲の振り付けには「オーファン」のような状況になってしまったものがあると思われる。『LOVEマシーン』のこの部分はこのように踊るのが「正しい」、判断するオーソリティがいないのだ。

似たことは新しいシングル曲でも起こっているだろう。シングル曲のコレオグラファーとの接触がないままツアーが進行しているときに、「ここはおかしい」という場所があったとしても、ツアー・コレオグラファーは権限外だから口を出さないだろう。メンバーたちの証言によると、コンサートの引き画面での映像がちょくちょく提供され、各メンバーがそれを自宅で見て「反省」をするていど。


他方、ツアー・コレオグラファーが担当するアルバム曲やB面曲については、微調整やフィードバックが行われている気配がある。全公演ではないかもしれないが、コレオグラファーは地方にも帯同しているようだし。

10期メンバーが初めて参加した2012年春ツアーで、バックアップ・ダンサーの佐藤優樹のダンスが上手くいかず、一緒に踊ることになっていた生田衣梨奈が巻き添えを食って、ダンス全体が省かれそうになっていたとき、当日になって二人で直訴してなんとか踊れることになった、というエピソードがあるが、それぐらいの細かいレベルでのクオリティ・コントロールや意思決定が現場で行われていることがわかる。


まあモーニング娘。はこういうものなので、こういうものとして受け入れるしかない。歌もダンスも指導者の力量が上限になるしかないし、その点では歌の方がダンスよりもずっと深刻な状況にある。

それと引き替えに、これは日本の「アイドル」全般に言えることだが、アイドル本人たちは作品の出来に関して「免責」されている。どれだけダサい歌詞やメロディを歌わされようと、どれだけダサいムーヴを踊らされようと、「本人たちには責任がないのに、かわいそう」と思われて、ファンたちは余計に感情移入するという仕組みになっている。そういう仕組みだからこそ、その枠組みから逸脱して輝いた瞬間が美しい。日本的な侘び寂びの世界である。

『彼と一緒にお店がしたい!』のミュージカル的歌詞世界 #3

「『彼と一緒にお店がしたい!』のミュージカル的歌詞世界 #2」の続き。

ここまで書いてきて何なんだけれども、こういうことを思って見ている観客は、仮に私一人ということはなくても少ないだろうな、と思うだけでなく、メンバー当人たちも、この曲で歌われている場面の後の悲劇なんてことは意識していないだろう、と思う(ちなみに「作詞家の意図」の話になるとつまらなくなるからやらない)。

このせいで、この曲はいっそうミュージカル(というか演劇)っぽく見えるのだ。観客は劇中の登場人物の知らないことを知っていて、いわゆる「神の視点」を持っている。しかし『彼と一緒にお店がしたい!』の場合は、登場人物だけでなく、それを演じているメンバーに対してメタな視点を持っている、という感じがしてくる。これはリアリティ・ショウの仕組みだ。


そんな曲の中で、私にとって生田衣梨奈が主人公に見えたのは興味深いことだ。2012年秋ツアーで、曲の途中で作るV字型の先頭に立ったときの印象が影響を与えているのだろうか。

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この前の、上に挙げた手を叩くところで、他のメンバーを背後に従えた生田衣梨奈だけが体でリズムを取ることなく棒立ちだったことが強く印象に残っている。最初見たときは何かの間違いか、と思ったが、ツアーの最後までずっとそうだったから、意図的な演出だったのだろうか。あるいはリズムを取らせたら動きが奇怪になるのでやめさせた、という消極的な配慮か? 9期のユニット曲で着た(コンサート衣装っぽくないという意味で)カジュアルな雰囲気の衣装のせいもあって、このときの彼女には歌の世界の登場人物としてのリアリズムがあった。


この曲ではちょくちょく道重さゆみの近くに来るから、私の視界に入る時間も長くなる。2012年秋~2013年春のモーニング娘。の中で、生田衣梨奈は表情も含めたステージ上での体での表現が一番苦手なメンバーになっている、と思う。飯窪春菜は果敢にチャレンジして壮絶に失敗するが、生田衣梨奈は何をしていいかわからなくなって体が強ばる。このことが、この曲に限っては面白く作用していた。

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道重さゆみの『ラララのピピピ』衣装は、不思議なことにオリジナルのポップな衣装よりもこの曲のパフォーマンスに合っていた。この「恋は難しい」のところのポーズのビジュアル・イメージは強烈。ただし、隣の田中れいなとともに、曲の主人公ではなく、パフォーマーであるように見える。

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そして「パソコンの学校に行きたいな」。ここで道重さゆみがこの曲の主人公かつスターであることがはっきりする。シングルのMVではまったく動きがないこの場面が、こんなものになるとはびっくりだが、こちらを見てしまうとこれ以外のものが想像できない。

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『彼と一緒にお店がしたい!』のミュージカル的歌詞世界 #2

「『彼と一緒にお店がしたい!』のミュージカル的歌詞世界 #1」の続き。

無邪気でかわいくて夢いっぱいの曲ではあるが、外から俯瞰する視点が導入されることによって、より大きな物語が意識され、切なさが出てくるという多重構造をしている。ミュージカルの一ナンバーであっておかしくないような曲なのである。


ミュージカルの一ナンバーだった場合、この曲は起承転結の「承」の部分、たとえば1時間半のミュージカル映画の中で開幕15分後あたりに置かれるものになるだろう。主人公と「彼」、および二人が属しているグループはすでに紹介されている。彼と別れて帰宅した主人公は、「帰りが遅いじゃないか」と文句を言うパパとの間に険悪な空気を残したまま自分のベッドルームに引っ込み、パジャマに着替えて寝る準備を整えた上で、iPhoneを持ち出して彼へのメールを書き始ながら、彼への想いを歌い、踊る。

そしてここから15分ぐらい経ったところで、二人には何か不幸なことが襲いかかる。結末がどうなるのかは物語が喜劇なのか悲劇なのかによるわけだが、そこまでに起こる諸々の事件は、『彼と一緒にお店がしたい!』の底抜けな楽しさと無邪気さに反比例して深刻なものになるだろう。


私は昔から、物語のなかでこの位置におかれる楽しいナンバーが大好きだった。有名どころでは…

『West Side Story』(『ウエストサイド物語』)の『I Feel Pretty』。鏡を見て「私はかわいい」を連呼する道重さゆみの大先輩マリアを演じているのはNatalie Wood。歌声はMarni Nixonという人が吹き替えている。こんなに舞い上がっている原因である「彼」は対立する人種グループに属していて、2人はギャング間抗争に巻き込まれる。『ロミオとジュリエット』を題材にした悲劇。





『My Fair Lady』(『マイ・フェア・レディ』)の『I Could Have Danced All Night』。自分を街角から拾ってくれたヒギンズ教授による上流階級の発音のレッスンがうまく行き、誉められて舞い上がっているイライザを演じているのはAudrey Hepburn。歌声は上と同じMarni Nixon。このあと、2人の間の関係はもっぱら教授のせいでぎくしゃくするのだが、最後には教授が反省して仲直りするという、G・B・ショーの『ピグマリオン』を題材にした喜劇。




『Singin' in the Rain』(『雨に唄えば』)の『Good Morning』。落ち目のスターGene Kellyの再生計画として、ミュージカルを作ればいいじゃないかというアイデアを思いついてみんなハッピーな場面。女性はDebbie Reynolds。このあと親密になったGene Kellyとの間に危機が訪れるが、50年代ハリウッド・ミュージカルの必然として能天気なハッピー・エンディングを迎える。




『Bye Bye Birdie』(『バイ・バイ・バーディー』)の『How Lovely To Be A Woman』。Ann-Margret演じる女子高生が同級生の男の子との恋に舞い上がり、「女であるってことはなんて嬉しいことなんでしょう」と歌う。「女」とは、16歳という年齢になって大人びてきた、ということ。群舞のないソロ曲だが、寝室、(メールではないが)彼との電話、寝る準備など、『彼と一緒にお店がしたい!』との共通点がけっこうある。また、「一緒にお店をしたい」わけではないが、「男の子を調教する」という感じの、自分が少し優位に立っているニュアンスも似ている。この後に訪れる危機は、町にやってきたロック・スターに彼女がなびく、というものだ。最終的には、同級生との、地味ではあるが誠実なおつきあいが大切だと気づいて元の鞘に戻る。いまとなっては道徳的なストーリーだが、当時はかなり批判された「革新的」なブロードウェイ・ミュージカル。





『Carousel』(『回転木馬』)の『If I Loved You』。曲の雰囲気がまったく違う、男女2人によるデュエットだが、『彼と一緒にお店がしたい!』から一番強く連想するのが実はこの『Carousel』なのだ。この作品の「彼」はほんもののチンピラで、主人公の女性は周囲の強い反対を押し切って結婚する。しかし、彼女がこどもを身ごもったというのに、彼は(家族を養いたいという善意からではあったが)知り合いの強盗の計画に乗り、失敗して死んでしまう。この『If I Loved You』は出会ったばかりの二人が互いに遠回しに求愛しているところ。『If I Loved You』と仮定法になっているのは、その気まんまんなのにダイレクトは言えずに「え~、ほんとは好きじゃないけどぉ~、もし好きだったら~、口に出せなくて~、チャンス逃しちゃいそう~」、「つまり俺のことを好きじゃない、ってこと?」みたいな会話をしているということで、こうやって説明すると非常にばかばかしくて恥ずかしい。このジャンルが廃れたのも無理はないな。男はGordon MacRaeで女はShirely Jones。個人的には、Shirely Jonesはこの時期の「歌姫」タイプのミュージカル女優のトップである。物語全体としては、びっくり展開のハッピー・エンディング。




もうちょっと続けよう。

『彼と一緒にお店がしたい!』のミュージカル的歌詞世界 #1

前にJuice=Juiceの『私が言う前に抱きしめなきゃね』の英訳文について書いた(http://michishigefan.blog130.fc2.com/blog-entry-437.html)のだが、普段はなるべく意識しないようにしているハロプロの歌詞をじっくり見ているといろいろと思うことがあった。

つんくは年頃の少女の気持ちを歌詞にするのが上手である、という評を耳にすることがある。私は年頃の少女だったことがないので、それがどれほど的を射たものなのかは判断できないのだが、たとえばスマイレージの『ぁまのじゃく』(http://www.uta-net.com/song/87905/)の「君のことなど興味ない」から始まって、「斎藤先輩とすごく仲がいいのも」とか「君の顔も覚えない」を経て、結末の「もうすぐ引っ越しするんでしょ」までの流れを見ていると、性別・年齢に関係なくぐっと来るのはたしかだ。

平均点とかプラス・マイナスの差し引きとかの世界ではない。こういうものが1つあったらそれは傑作であり、全体の5%にでもあったら素晴らしい芸術家である。問題なのは、「ピンチから~つかみとる~えいこ~」とか「記念のあれを 無くしても」とかが出てきたときにリジェクトするプロデューサーや進言するレコーディング・ディレクターがいないことなのだ。でもそんな仕組みがあったら「ララララ~のピピピピ~」も陽の目を見なかったかもしれないので、現状でいいのだろう。



というようなことを思うなか、私がとても気に入っている『彼と一緒にお店がしたい!』が、ミュージカルっぽさを感じさせてこれほどまでにいいのは、曲調やコレオグラフィーがそれっぽいということもあるが、歌詞世界のおかげでもあるなと思ったので、この項ではこれについて書いてみる。

まずは歌詞(http://www.uta-net.com/song/118958/)とミュージック・ビデオ。ビデオは、公式サイトにこの曲単独のクリップがないので、下の動画の5:17あたりから。




ライブ映像にはいくつかのバージョンがあるが、2012年秋ツアーのものが一番いい。




シングル・リリース時のPVにダンスがついていないのは重要である。PV用のコレオグラフィーがなかったおかげで、コンサート・ホールでのライブに向いたコレオグラフィーが付けられた。残念ながらライブ映像ではその良さの一部しか伝わらないけれども、ステージ上のあちこちでいろんなことが起こっているとても楽しいナンバーになっている。


歌詞の話だった。

この曲には、少女の恋心を歌った他の多くの曲と決定的に違う要素が1つある。パパとママという第三者の視点が導入されていて、本人もそれを強く意識していることだ。このおかげで、物語の主人公が置かれている環境、立っている舞台を俯瞰しやすくなっている。

ところでこの曲の歌詞を思うとき、なぜか私の頭の中では、家族から離れて自分の寝室でメールを打っていたり、「彼の悪口はぜったいに許さないんだからね」とふくれっ面で文句を垂れているのは生田衣梨奈なのだ。「パソコンのガッコ」のところまで来ると道重さゆみに切り替わるけれども、そこまでは、特にステージ上で目立っているわけでもないのに、生田衣梨奈が主人公をやっている。


そんな生田衣梨奈のボーイフレンドについて、パパは細かく嫌みを言う。髪型が変だ、と難癖をつける。この点については生田本人も「ちょっぴり」という留保は付けながらも同意せざるをえない。いまの世の中、「変な髪型」とはどんなものなのか私にはよくわからないが、生田本人と彼について「ハチャメチャ」とか「ムチャクチャ」と評していることから、何か無軌道な、不安を感じさせるそのあり方を象徴するような髪型をしているのだろう。うさちゃんヘアーとかではない。

そんな彼の髪型について、生田は「街で目立って 人気者だもんね」と弁護する。通りすがりの人が髪型を賛美するとは考えにくいので、彼を人気者とするグループ/サークルが存在していて、生田もその一員なのだろう。彼はそのグループのリーダー格の存在、あるいはそうでなくても人気者のポジションにいる。

つまり街でうろうろしているチンピラ・グループの話なのである。そりゃパパも心配していろいろと口を出してくる。それに反発して生田は「お店をする」という、彼女なりの「堅実さ」を必死にアピールする。もちろん「お店をする」というのは、その年齢に関係なく、女性の口から出る言葉としては危険信号以外のなにものでもないのだが、彼女はそのことがわかる歳でもない。

そしてクライマックスに来る道重さゆみパートの「パソコンの学校に行きたいな 将来に二人でお店出すため」で危なかっしさが頂点に達する。こういうことを言うということは、彼氏にはまだ「お店を出す」話は通していない。彼氏が堅実路線に共感しているのかどうかも定かでない。たぶん違う。そんな頼りない彼だからこそ、自分が頑張って支えようと思っている。そこで出てくるのが「パソコンの学校」という無邪気さ。道重さゆみの表現の力もあって、ここの部分はひたすら切ない。

この二人はたぶんうまく行かない。

長くなるのでテキストを分ける。

これからの道重さゆみの位置づけに関するファン的妄想

直前の記事にコメント(http://michishigefan.blog130.fc2.com/blog-entry-442.html#cm)を付けてくれた方が、これから卒業までの道重さゆみのポジションについて書いてくれているのだけれども、「今の既定路線のまま、さゆが地味に終える体で考えたとき、鞘師里保・小田さくらのモーニング娘。に弱さを感じずにはいられない、っていうところからきているんです。それを道重さゆみが救ったら、さゆのファンとしては至福だな」というところを読んだとき、自分が最初から「地味に終える」という前提でしか物を考えていなかったことに気づいた。ファンならば、ここは道重さゆみがモーニング娘。を「救う」という方向で想像を膨らませるようでないとダメだと思って考え込んでしまった。

ただ、自分がなぜこうなのかにもそれなりの理由はある。

そもそも私はモーニング娘。の「エース」とか「センター」のポジションにそれほど魅力を感じていないし、このポジションに立った歴代のメンバーにもそれほど関心がない。「だから」なのか、「なぜならば」なのかはわからないが、そういうわけで私は過去の多くのシングル曲をそれほどいいとは思っていない。私にとってモーニング娘。の魅力は、シングル曲で打ち出される「エース」中心の構成がないB面曲やアルバム曲にある。

つまり「モーニング娘。がシングルCDを通して打ち出すイメージ戦略」が、私の好みから外れている、ということだ。よくそんなことでモーニング娘。にハマれたものだ、とは思う。また、そういうことだから、私の好みはファンのマジョリティから大きくずれているだろうな、とも思う。


しかし、いやこれはほんとに驚くべきことに、なのだが、『One・Two・Three』以降のエレクトロ的ダンス・ミュージック路線は、これまでで一番、私の素直な好みに合致しているのだった。このブログではこれらのシングル曲についてけっこうネガティブなことを書いているけれども、それは主にコンサートでのライブ・パフォーマンスで粗が見えるということについて言っているのであって、グループの路線として、イメージ戦略として、そしてミュージック・ビデオの出来というレベルでは、モーニング娘。はいままで一番(個人的好みとしては)好ましい状態にあると思う。

道重さゆみがリーダーになったとたんにこんな持ち上げ方してる、ということでは決してない。これらの曲で道重さゆみが目立って重用されているわけでもないし。その意味で、この路線での道重さゆみはたしかに「地味」ではある。


そういうことなので、モーニング娘。はこの路線をしばらく追求して、勢いに任せて行けるところまで行ってみてほしいな、と願っている。ヴォーカル・パートをこれ以上に分散させ、コレオグラフィー上も「エース」とか「センター」の概念をこれ以上に薄めてもらえると嬉しいのだが、あまり贅沢は言うまい。その中で道重さゆみはいまのような立ち位置でいい。もちろん彼女をフォーメーションの中心に置けばグループとして一番映えるとは思うけれども、むしろセンターの概念を薄める方がグループにとっては有益だと思う。



じゃあ、卒業までの道重さゆみのポジションについて、ファンとしてどんなことを望むのか。ファン・ブログらしく好き勝手に書いてみると…


● ソロ曲・ユニット曲

道重さゆみはソロ曲や少人数ユニット曲の面ではとても恵まれている。たしかにつんくに愛されているんだろうな、と感じる。ここまで来て『ラララのピピピ』という大傑作が来てしまうわけで、愛はそうとう深く、継続的だ。願わくば、卒業までにこの『レインボーピンク』から始まる電波ソング路線の傑作をあと一つ。譜久村聖とのデュオによる『好きだな君が』と『哀愁ロマンティック』はいまいちだが、こちらももっと聴きたい。

そして、『It's You』路線をあと一つ。最近、この曲をふと久しぶりに聴いてみたらものすごく良かった。最近聴いていない人は、特にアルバム音源の方を聴き直してみてはいかが(http://youtu.be/FxMSnqH5ISs)。レコーディング技術者の勝利ということなのかもしれないが、作品として素晴らしいのは変わらない。いまの道重さゆみによる再解釈バージョンをライブで見てみたい。


● 全体曲

最近の作品だと『彼と一緒にお店がしたい!』のような、道重さゆみの持ち味を活かしながら、グループ全体の魅力を見せてくれる作品をもっとたくさん見たい。いい曲であることは大前提として、重要なのはコレオグラフィーである。このところのシングル曲をやっているYOSHIKOではなく、木下奈津子の作品が見たい。といいながら、『彼と一緒にお店がしたい!』が木下奈津子の作品なのかどうかは知らないのだが。

この曲のほか、昨年の秋ツアーの10期による『青春ど真ん中』のようなミュージカル仕立てのユニット曲、そしてそれほど特徴的ではないが『Loveイノベーション』のような楽しい全体曲など、ステージ全体を有機的に使って、各メンバーの魅力を存分に引き出すミュージカル/レヴュー・タイプの曲/コレオグラフィーにおいて、道重さゆみは大いに活きる。歌さえなんとかなれば、この人は間違いなくミュージカルに向いている。

そもそもモーニング娘。のシングル曲がこの路線だったらいいのに、と思うこともあるのだが(道重さゆみがメインでないとしても)、その需要がないという判断なのだろうし、上にも書いたようにいまのエレクトロ/ダンス路線は十分にうまく行っているからあまり多くは望むまい。


● 個人での活動

もうずいぶん前から、彼女が単独で出演するテレビ番組を見なくなっている。このブログで取り上げたその手のバラエティ番組は、2010年7月の『世界一受けたい授業』が最初で最後だ。この後もしばらくは、彼女が出たバラエティ番組はほぼ全部見ていて、彼女の姿を見られるのは嬉しかったのだが、記事を書くに値するぐらいに面白いと思った番組は1つもなかった。

モーニング娘。卒業後の道重さゆみの活動の場がテレビ番組になるのだったら、ファンとしては非常に難しい立場に立たされることになる。でもやっぱり無理だろうな。彼女がどうこう以前に、番組の質が低すぎて見ていられない。『美女学』も『ハロプロTIME!』も『数学女子学園』も『彼は、妹の恋人』もぜんぶ見た上でこう言っているのだから神様も許してくれるだろう。


もともと最初から指向性の違いがあるのはわかっているので、このような形で芸能人としての活動を見続けられなくなることの覚悟はできていた。ラジオ番組でのトークなどを聴いていても、「アイドルに対する関心」を共有しているだけで、それ以外の点ではまったく接点がない。それがとても好ましかったわけだし、こちらの好みの方に近づいてくれないかなという願望もない。だいたいアイドルに対する好みも一致していない感じがする。「道重さゆみ」に対する好みだけは確実に一致しているが。


敢えて一つだけ言ってみたいのは、本人としてはもう完全に道を閉ざしたようだけれども、女優としての活動を再検討したらいいんじゃないかな、ということ。『数学女子学園』と『彼は、妹の恋人』を見た上でそんなこと言うか、という感じだけれども、演技というものにはこれ以外の道もあるのであって、この色に染まっていないがゆえに開ける道もあるかもしれない。いや、やはりないかな。

これはモーニング娘。のメイン・ヴォーカルをやっていると歌手としてダメになる、というのと似ている。日本の映画もドラマも演劇も(私の知っている範囲では)大部分がそうだが、ハロプロの歌みたいに「変なもの」なのであって、そこから外に出ればもっとちゃんとしたものは世の中にある。ただ、演技の道の場合、「そこから外」の場が日本国内に見当たらないので、日本のアイドルのキャリア・パスとしてはやはり無理な話なのだろう。


ここ数年、アイドルを見ていて思うのは、「卒業後」の道が絶望的に貧しい、ということだ。結果として、若いうちのアイドルとしての活動がピークになってしまう。本人の能力の限界ゆえに伸びなかった、ということではなくて、日本のショウビズそのもののポテンシャルが低い。テレビ、映画、音楽、ミュージカル、演劇など、いずれもそうだ。

まだ可能性が感じられるのは、ラジオ番組と、その発展系として、今後の伸びが期待できるインターネット配信の映像番組。卒業後もこれらを続けてくれればありがたい。プロデューサー的視点から関わるならいっそう楽しそう。

短文エッセイ: 露店売り写真のセット数比較

ちょっと前に露店売り写真の撮影者について書いたが、今回は露店で売られている写真のメンバー毎のセット数について。

11月24日の大阪公演で、昼公演と夜公演の間に時間があったので、露店で売られているモーニング娘。メンバーの写真をしばらく眺めていた。で、せっかくだから各メンバーの写真がそれぞれ何種類あるのかを記録しておこうと思った。

1人のメンバーの写真が8枚入った1セットが1000円で売られている。このセットの種類の数がメンバーによって違う。以下、連番の若い順から。

田中れいな 9
道重さゆみ 8
鈴木香音  3
工藤遙   5
佐藤優樹  4
鞘師里保  10
生田衣梨奈 4
譜久村聖  5
石田亜佑美 6
飯窪春菜  5


厳しい商売であるから、この数字には事務所の戦略とかに左右されない、現実の需要が冷徹に反映されていると考えられる。ただし、ここに反映されているのがファンの絶対数なのか、全セットをまとめ買いするファンの忠実度の高さなのかは解釈の余地がある。各セットには、似た構図の、それぞれ映りが微妙に異なる写真がうまくばらけて入っていて、コンプリート欲に応えるだけでなく、目当てのメンバーのいい映りの写真だけを揃えたい人にも複数セット買わせるような工夫がしてあるように思われた。


事務所がエースとして売り出している鞘師里保がトップになるのはモーニング娘。ではごく普通の現象。道重さゆみが田中れいなの後につけるのも昔からのことだ。意外だったのは次に来るのが石田亜佑美で、その後に譜久村聖と工藤遙と飯窪春菜が並ぶこと。というよりも、これははっきりと生田衣梨奈と鈴木香音の失速と表現した方がいいように感じる。

いずれにしても、道重さゆみはこの手のランキングでモーニング娘。加入時からずっと「上位争い」をすることがなかった人なので、こんなブログを書いている私はこの手のランキングの結果に大した意味を見ていない。このところ更新をやめてしまったが、オリコンの売り上げランキングと同じようなものだ。そのていどのデータとして、ここに記録しておく。

ただ、生田衣梨奈と鈴木香音の失速はこれ以外の面でも感じ取れる大問題ではあると思う。これについては別の機会に。

短文エッセイ: 露店売り写真と著作権

この手の話は人から聞いたり読んだりしたことはあったけれども、自ら見たのは初めて。

スマイレージの秋ツアーをやっていた横浜BLITZで、客席で堂々と写真を撮っている人を初めて近くで目撃した。コンサート会場近くの露店で売っている、例の妙にセンスのいい写真の供給者だと思われる。ファミリー席中央ブロック3列目に座っていた男女2人の客で、男の方が巨大なレンズを服で隠しながら、コンサート中ずっとファインダーを覗き込んで写真を撮っていた。

途中でスタッフが2回やってきてなにやら話し込み、男の方が2回、会場の外に連れ出されたけれども、すぐに戻って来て撮影を再開した。というわけで、裏で話がついているというのはやはり本当なのだろう。

私はアイドルの写真は公式のものも露店売りのものも買ったことがないのだが、露店ものはおおむね出来がいいから、ツアー毎に一度はお店に立ち寄って商品を眺めることだけはしている。で、ぬるま湯商売じゃないと質は高くなるんだな、と毎度感嘆するのである。


ところで。

このブログでは著作権に配慮して、オフィシャルな写真や雑誌・ウェブサイトなどに掲載された写真は載せないようにしている。アイドルの画像を載せている場合、それはすべて動画のキャプチャ画像を、「引用の範囲内」で使用している、はずである。

しかし今回の私の経験を鑑みるに(いや別に鑑みなくてもそうなのだが)、露店売りの写真は、著作権を主張する人がいないだろうから、そのままブログに載せても問題は生じなさそう。と思ったというお話。
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