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2011年3月3日、「リアルエチュード みんなの家 Girl's STAGE」

2011年3月3日、青山円形劇場で行われた「リアルエチュード みんなの家 Girl's STAGE」という舞台を見に行ってきた。出演者は、昼の部は新垣里沙、道重さゆみ、光井愛佳、松尾伴内、夜の部は新垣里沙、道重さゆみ、川麻世。

役者のトレーニングとして行われる「エチュード」を実際にステージ上でやってみせるという企画。昨年末に高橋愛と新垣里沙がやった舞台を見た道重さゆみが、その場で自分もステージにあがりたかった、などと興奮気味にラジオで話していたのが印象深かったので、万難を排して昼・夜ともに行ってみた次第。

これは実に複雑な気持ちになる演し物だった。率直に言えば、これはアイドルのファン・クラブ・イベントに毛が生えたようなものである。そのようなイベントとしてはとても楽しめたのだけれども、道重さゆみひいてはモーニング娘。のファンとしては、もっと外の世界に開かれた「いい仕事」をやってほしいなとも感じるのだ。たとえば写真集の販促握手会は、物を売るためのダイレクトな営業活動だから問題ないし、ファン・クラブのバス・ツアーなんかは、ファンとの関係を強化するというはっきりとした目的に沿って行われるわけで問題ないのだが、この「リアルエチュード みんなの家 Girl's STAGE」という演し物はその点での位置づけが中途半端で居心地が悪かった。


とはいえ、この企画のプロデューサーと、実際に舞台に上って進行役を務めるディレクターの割り切り方には好感が持てた。たとえばモーニング娘。のファン・クラブのハワイ・ツアーにたとえるとすると、プロデューサーは旅行会社の企画担当者、ディレクターはツアーの添乗員のようなもので、ハワイ・ツアーにアーティスティックな価値を付加しようなどという野望を抱く企画担当者や添乗員がいるわけがないのと同じように、彼らはこの舞台にも何の幻想も抱いていない。これはファンとしては気持ちがいいし、安心ができる態度である。

かつての私は、アイドル的な女優に映画監督が「試練」を与えるタイプの映画を喜んで見ていたものだが、いざ「こっちの側」に立ってみると、お客さんとして丁寧に扱って、傷を付けずに返してくださいね、間違ってもこれにかこつけて何か自己主張をしようとは思わないでくださいね、という心情にならざるをえない。その意味で、『ケータイ刑事THE MOVIE 3』はモーニング娘。にとっては非常に良い映画だった(主演女優3人にとってはどうだったかわからないけど)。この「リアルエチュード」も本質的には良い企画だが、後述するようにその浅さゆえに事故につながりかねない危うさもあった。

というようなことをいろいろと考える契機になったという意味で、これはとても刺激的なイベントではあったのである。


ディレクターがあらかじめテーマを設定し(今回のテーマは前回と同じ「衝突」で、夜の部では「嘘」というサブテーマが追加された)、出演者はそれに沿ったパーソナルなエピソードを語る。ディレクターはその語りをガイドしながら、7分前後を目安に行われるスケッチの大まかなストーリーを作っていく。語り手はそのストーリーの中で本人を演じ、他の出演者はそこに登場する他の人物を演じる。ストーリーの概要と配役が決まったら、出演者たちはいったん退場し、15分とか30分とかの短い時間で打ち合わせをしただけで、実際にそれを演じる。他者からの評価やフィードバックが行われないという点で、これはアイドルのイベントでありがちな「お題を与えられてのショート・コント」と似たようなものになる。ただし、ゲストとして呼ばれる人たちの多くが商業演劇のノン・プロパーの、しかしそこそこ経験を積んだ役者なので、彼らが共演するスケッチではその方面の色が付く。


新垣里沙と道重さゆみの振る舞い方は私が予想していた通りのものだった。新垣里沙はいい意味でも悪い意味でも器用で、演出家が望むであろうことをそれなりの水準でやれている。この器用さと、そこから帰結する凡庸さは、モーニング娘。内のシンガーとしての新垣里沙にとっては非常に大きな武器だ。

一方、道重さゆみは、テレビのバラエティ番組に出演しているような感覚で演技に臨んでいるように感じられた。観客の前で即興で何かをする、となったときに、こういう形での表現を行うように回路ができあがっている。これはまた、自意識の強さとか恥ずかしがり屋といった彼女の性格ともマッチする方向性だ。

必然的に、彼女の演技はリアリティ指向になる。新垣と光井の演技が、自分がどこかで見た、世の中に一般に存在する「演技」をエミュレートするものになるのとは異なり(ちなみに両者とも悪くなかった。いまさらだけれども、さすがモーニング娘。の底力だな、などと思ってしまった)、道重さゆみの演技は現実を模倣しようとするもの、というか、リアリティ・ショウにおける出演者のように振るまおうとするものだった。

道重さゆみが松尾伴内のストーリーで演じたpassive-aggressiveなガールフレンドには恐ろしいほどの現実味があって怖かった。新垣里沙からこれは普段の印象からはかけ離れた役だったと言われたとき、道重さゆみは「藤本美貴の気持ちが分かった」、「藤本美貴のことを思って演じた」という趣旨のことを述べたけれども、彼女にはほんとうにこういう一面があるのだろう、と私は勝手に思っている。実際、本人が主役となった、姉との衝突を巡るストーリーや父親との衝突のエピソードでも、そこに登場する自分を、これと似たキャラクターとして演じていた。ファンとしての勝手な想像をさらに続けるならば、久住小春との衝突のときも、ジュンジュンとの衝突とのときもこうだったのではないだろうか。そのような想像を広げさせてくれるような力が道重さゆみの演技にはあった。これは彼女が演技者として新垣や光井よりも「上手だ」ということではなく、方向性に違いがある、ということだ。


演技、あるいは、ひとが人前あるいはカメラの前でどう振る舞うかという話について。私は主に映画を通じていろんな演技を見てきたけれども、2000年以降の欧米のリアリティ・ショウにハマってから見方がかなり変わった。リアリティ・ショウがどれほどのリアリティを映し出しているかという議論はあるとしても、人間が演技としてでなく自然に振る舞っている様子がテレビの画面に映し出され、それが娯楽的な鑑賞の対象になる、という観念が欧米で急速に発展したことの意義は非常に大きかったと思う。これについてはいつか別の機会にもう少し説明したいと思うのだが、そもそも日本的なアイドルのあり方を欧米人に説明するときには、彼らは「リアリティ・スター」であると説明すると理解してもらいやすい。その意味で、アイドルとリアリティ・ショウはもともと近い位置にある。そして、日本のアイドルというジャンルは、ポスト・リアリティ・ショウの作劇や演技の金脈なのではないか、と思ったりするのだ。


そういう話とはまったく別に、ファンとして楽しめるポイントも随所にあった。道重ファンとしてやはり一番興味深かったのは、夜の部で最後に行われた、亀井絵里とのすれ違いと和解の話である。この話自体は彼女がラジオ番組『今夜もうさちゃんピース』で語り、後に亀井絵里本人がゲストとして来たときにも改めて語り合ったものなので、別に目新しいことはないのだけれども、ドキドキしたのはこの亀井を新垣里沙が演じることになったことだ。

道重と新垣の間にあった、亀井絵里の第一ガールフレンドとしての地位を巡る競争は、亀井の卒業によって棚上げにされていたが、今回の舞台の上で道重が一方的に勝ち名乗りを上げ、新垣はそれに屈服せざるをえなかった。今回、新垣里沙は、道重と亀井が同期という特殊な絆によって結ばれた心の親友だった、というストーリーを追認するばかりか、舞台上でよりにもよってその亀井の役を演じさせられ、亀井の立場から道重の姿を見て、さらにはそれを見た亀井の心の動きを想像させられた。やっつけ仕事をやっているディレクターは、無知から来る善意でこのストーリーを採用し、陳腐な意味づけを行って、何の疑問も持たずに相手役に新垣里沙を指名した。とまあ、そういうドラマが舞台上で進行しているように見えたのである。

自分が主役のエモーショナルなエピソードを自分で演じるという危険なことをやらせることがそもそも間違いだ、と言うことも可能。ロール・プレイングの監督者は、それをやる人間についての情報をそれなりに持っておかなくてはいけないという話に帰着させることも可能。観客として、こんなスリリングなtrain wreckを見ることが幸運だったと言うことも可能。新垣里沙を主人公とする皮肉で残酷な物語を想像して涙するのもあり。これを道重さゆみが意図的に行ったと想像して背筋が寒くなる思いをするのも可能(さすがに意図してのことではないと思うけど)。もちろん、私の妄想として片付けるのも可能。


アドリブが苦手であるとつねに公言している道重さゆみが、このような即興劇にどう対応するのかが楽しみだったのだけれども、結果を見れば余裕をもってこなしていたと思う。この日の1回目と2回目のあいだに書かれたブログはこちら(http://gree.jp/michishige_sayumi/blog/entry/555984259)。この人は相変わらず自分の緊張を隠すのに長けている。ただ、実は今回の舞台は彼女にとってそれほどの「アウェイの場」ではなかったのかな、という気もする。彼女が「正解の範囲があらかじめほぼ決まっている状態で投げかけられる問いに対する答えを返すこと」を得意としていないことはよくわかる。知識不足のせいで、その正解の範囲がわからないでいる状況や、自分がそれをわかっていないということを意識していて口を開けられないでいる状況をときどき見るからだ。じかし今回の舞台にはそのような縛りがなかったし、自分のギャグを温かく受け入れてくれる観客がいた。

松尾伴内のストーリーで、トイレに入った彼女が、洗った手を服で拭きながら出てくるというギャグを思いつき、ああいう形で実行したのは凄いことだと思う。いまのモーニング娘。であれを成立させられる人は他にいないだろう。しかし、これが「外の世界」で成立しないのもまた確実だ。「私はかわいい」ネタはそろそろ外の世界で諒解されるようになってきているけれども、その一般化された形である、このように突き抜けた批評性というか自己の客観化というか、そういうあり方が世界に理解される日は来るのだろうか。

もちろんこれは「演技」とか「エチュード」とかとは関係ない枝葉末節であり、むしろ夾雑物だ。しかし、こういう場で目をつけられると、チョコレートとタイアップしたミニドラマとかに起用されてしまいかねない。道重さゆみのファンとしては、この系統・人脈の仕事からは距離をおいてほしいと願うばかりである。

青山円形劇場
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舞台『ファッショナブル』 #2

 

開幕直後、全員そろってこの舞台のテーマ・ソングでもある『青春コレクション』を披露。これがまさかの口パクで愕然としたが、劇中に挿入されるミュージカル調の歌は生歌だった。それらの質が高かったとは言えず、ない方がマシだったかもしれないのだが。

 

 

Fashionable-1

 

左からジュンジュン、道重さゆみ、新垣里沙、高橋愛、田中れいな、亀井絵里、光井愛佳、リンリン。後ろの看板にある「TRESOR」がショップの名前「トレゾア」で、”treasure”に対応するフランス語、要するに「宝物」の意味だが、これがドイツ語だと「金庫室」の意味になる。この二重の意味は意図されているのだろうか?

 

『青春コレクション』はこういう日常的な服を着て踊るものではなかった。ミュージック・ビデオのあのけばけばしい色彩の衣装だからこそ、このもっさりした感じの振り付けが見るに耐えるものになっているんだということを痛感した。それでも、この静止画にうつっている立ち姿は非常に美しいと思う。

 

この後、道重さゆみはすぐに退場し、しばらくしてからショップの客として登場する。

 

Fashionable-2

 

森成あんな( 公式サイト って違うけど)という、テレビで活躍しているタレントで、ショップ店員に対して自己中心的でわがままな要求をしてくる客として描かれている。この高飛車な客と、中島早貴らが演じる自信のない高校生の客の両方に対して物を売れるようでなくてはならないという教訓話の道具の役割を果たしている。この教訓自体は「あ~、こういう店には行きたくないな」と思わせるタイプのもので、そりゃ競合する大衆向けショップの方が流行ってもおかしくないと感じさせ、辰巳琢郎演じるコンサルタントのショップのプロデューサーとしての力量に疑念を抱かせる主因ともなっているわけだが、まあそういうことを言っていてもしかたない脚本なんで…

 

森成あんなという人物は道重さゆみがテレビ番組に出るときに「演じる」タレントのそのままの像である。言ってみれば、道重さゆみが批評的・批判的に演じているタレント像がそのままストレートに出てきて、そのままストレートに劇内で役割を果たす。この奇妙な状況を彼女はどう思ったのだろうか。『ファッショナブル』のブログに、彼女はこういう長い弁明を書いている: http://www.gekidan-online.com/blog/fashionable/?p=579

 

あんなを演じるのはたのしかったです♪
まわりのみなさんに、
『道重そのままだねー』ってゆわれたし、
『お稽古しなくてももう出来上がってる』ってゆわれてましたが、
さゆみは、道重さゆみのままステージに出てたつもりはなく、
森成あんなとして演技してたつもりです↑↑↑↑↑
確かにさゆみと似てるキャラだけど、あんなはあんななので、一応あんなに成り切ったつもりです!
楽しかったな~。

そして、

ほんとにね。
頑張りは報われると思います。
確かに、頑張ってやったのに…なんで?って悔しく思うことはたくさんぁります。
ですが、さゆみは、このファッショナブルの台本をもらって初めて台本を読んだ時、
さゆみのテレビやステージでだすキャラクターと似てるのをみて、
頑張ってやり続けたからこそ、あんなちゃんの役をいただけたことを実感しました。
いざ本番も、さゆみの普段のキャラを分かってるからこその笑いをお客様からいただけたり、、
それがすごく嬉しかった!
こんなふうに形として、みえたのが初めてだったので、毎回毎回、感動してました。

 

これは興味深い構図だ。道重さゆみは、テレビ番組にタレントとして出演するときは、共演者が、彼女にその「タレント像」に対する批評性があるのかないのかわからなくて不安になる、という場を作り出すことによって笑いを取るという戦略をとっている。一方、ライブ会場やラジオ番組など、完全な「ホーム」の場では、そのように不安になる人はいないので(共演者も観客も十分に理解しているから)、これが批評であるという態度をはっきりと打ち出す。

 

しかし今回の『ファッショナブル』では、劇中の森成あんなは批評の対象ではない。そのような自意識はないし、他の登場人物からの批評の対象ともならない。そのような人物を正面から演じきって「笑いをお客様からいただけ」ているわけだが、これは劇のコンテキストからは逸脱したメタな笑いである。これが成功すればするほど、「森成あんなのような客を満足させられないと一流のショップ店員ではない」というストーリーの要となる前提を揺らがすわけだ。これはけっこう難しい立場に追い込まれていると言える。

 

 

Fashionable-3

 

途中でソロで歌う場面もある。劇中歌は全体的にクオリティが低すぎて、彼女に限らずどの人も勝負のしようがない。しっとりとした歌を歌い上げさせられている亀井絵里あたりが一番ダメージが大きかったと思う。

 

道重さゆみは、一人で歌を歌えているというだけでボーナスだ、というぐらいの人だけど、ダンスというか、舞台上でのミュージカル的な身のこなしという点では何か天賦の才を持っている。この分野ではやはり群を抜いている高橋愛の次には来るだろう。ただ、これは演劇的な身のこなしには転用できないのだな、ということも今回確認したことの1つだった。

 

 

Fashionable-4

 

わだかまりが解け、私たちは仲間なのだと確認するために7人で歌う『友』。途中で1人ずつ順番に歌っていくソロ・パートの箇所で、道重さゆみのパートは高橋愛が歌った。モーニング娘。内での「序列」順だから、亀井絵里の後、田中れいなの前の部分である。

 

ここの『友』は、激しい踊りがないから生歌が安定するということもあって、この舞台全体を通して一番安心して見られる部分だったと思う。初めてこの曲を聴いたときには、A面の『青春コレクション』との差別化ができていないおもしろみのない曲と思ったけれども、こうやってミュージカル的な演出込みで歌われるとそれなりの説得力があった。この曲に関してはカジュアルな服装も、ダサめのコレオグラフィーも、ネガティブには作用していない。とにかくここでほっとしたことをよく覚えている。

舞台『ファッショナブル』 2010/9/12 BS-TBS にて放送 #1

2010年9月12日に、モーニング娘。が6月に行った舞台『ファッショナブル』がBS-TBSで放送された。ところどころにミュージカルっぽい歌が挿入されているが、基本的には芝居中心の演劇である。東京(ル・テアトル銀座)と大阪(シアターBRAVA)で計21公演という、そこそこ力の入った興行ではあった。9月15日にはDVDも発売されるが、テレビ放送したバージョンとは編集が違うとのこと。私はこの舞台を初日の6月11日に見に行った。初日のリスクは承知しているから、面白そうであればまた行ってもいいなと思っていたのだが、これはもう根本的なところで問題があったため、結局行かずじまいとなった。

 

私がここに来てモーニング娘。のファンになったのは、そのパフォーマンスがパフォーミング・アーツ全般という括りの中でもそうとうにレベルが高いと感じたからだ。もともと私は日本の「アイドル」というものに興味がなかったのだが、たとえば今年の春のライブツアーは非常に面白く、基本的に同じ内容の公演なのに何度も足を運んだ。そのようなことはいままでなかった。その後、過去の映像や他のアイドル・グループのパフォーマンスを見て、「いまのモーニング娘。」がアイドルという括りだけでなくハロー・プロジェクトという括りの中でも突出しているということがわかったわけだけれども、アイドルというジャンルのなかに見るべきものがあるということと、アイドルという特殊な存在が持つ魅力という一般論に目を開かされたことはたしかだった。

 

この流れで、この『ファッショナブル』という舞台にも新鮮な驚きを期待していたわけだが…結論を言うと、これはほんとうにダメな作品だった。モーニング娘。のメンバーたちが悪いというのではなく、そもそもの企画に問題があって、提示されたものは「尖ってないタイプの小劇場芝居の脚本」と「日本製テレビ・ドラマの演出」と「問題意識のない大根演技」の組み合わせなのだ。まあそれでいろいろと考えさせられたし、モーニング娘。のライブ・パフォーマンスが素晴らしいことの奇跡に改めて気づかさせられたから別にいい。こういう大失態があっても「アイドル」であるがゆえに傷を負わない、という構図が鮮明に見えてきたというのもあるし。

 

道重さゆみファンとしては、彼女の出番が少ないという大問題がある。この芝居で、モーニング娘。のメンバーたちは舞台となる洋服店の店員を演じるのだが、道重さゆみ一人だけがそこに客として訪れるタレントの役なので、相対的に目立つシーンは与えられているものの、舞台上にいる絶対的な時間が短い。そればかりか、パリのJapan Expoのテーマ・ソングとなった『友』の初披露が、彼女を除いた7人で行われるのだ。これは彼女が友ではないためであり、ストーリー上の要請であるとはいってもなかなか面白い。

 

ジュンジュンとリンリンのコメディエンヌとしての才能は十分に発揮されていた。特にリンリンは春ツアーの「大阪美味いねん」でも印象的だった、体の大きな使い方が舞台芝居でも活きることがわかって、今後が楽しみだなと思っていたんだが、2人とも今年でモーニング娘。を卒業してしまうのでどうにもならない。

 

田中れいなの佇まいも印象的だった。どうしようもない端役を与えられていたということもあるが、たぶんこの人にはこういう芝居に本気になって取り組むメンタリティがそもそもない。だからこそ端役を与えられたのかもしれないな、などと推測したりしてしまうような力の抜き方だった。この人のこういう場での存在感は素晴らしいと思う。

 

なんだ、けっこう楽しんだんじゃないのと言われればその通り。この芝居、脚本家がモーニング娘。のことをよく知っている人らしく、モーニング娘。が置かれている状況をストーリーに織り込んだメタ的な脚本になっている面がある。そもそもこの物語は、モーニング娘。のメンバーたちが働くセレクト・ショップ「トレゾア」が、近くにできた大衆店の影響で売り上げを落としているという状況説明から入るのだが、これはまさにAKB48に押されているモーニング娘。の状況そのものだ。このアナロジーは観客がすぐに気づくように提示されるし、舞台上にいるモーニング娘。のメンバーもそのことを意識しているのは間違いない、と思わせるように提示されるというメタ構造がある。

 

「トレゾア」の売り上げが芳しくない状態になっているのは、近くにできたファスト・ファションのショップに客を奪われているのにもかかわらず、経営努力をしなかったからである。セレクト・ショップの路線自体は正しいのだが、マネージャ(地区マネージャの加藤紀子)の人事判断に問題があって、店員としては有能だがチーム・リーダーとしての資質に欠ける人間をショップのチーフにしてしまった(高橋愛)。チーフはリーダーとしてチームをまとめることができず、ショップとしてどうやって物を売っていくのかという基本的な考え方すら、チームのメンバーに示すことができない。これを解決するために、地区マネージャはかつてファッション・リーダーとして活躍していた人物(辰巳琢郎)を招き、ショップの建て直しを依頼する(実はこの裏には別の理由があるわけだが、本質的なことではないので省略)。店員たちはこの新顔のコンサルタントに反発するが、チーフを除いて徐々に彼の存在とアドバイスを受け入れていく。最後まで頑なに拒絶していたチーフも、彼が末期がんであることを知って最後に和解する。

 

とまあ、驚くほど大胆な設定なのだ。要するにモーニング娘。がファンを失いつつあるのは高橋愛にリーダーの資質がないためであり、オーディエンスにどのように向き合うべきかをメンバーたちが理解していないからであり、人気を取り戻すためには新しいプロデューサーを外部から入れる必要がある、と言っている。この構図のなかで、道重さゆみは一人だけ人気の高いタレントの役を与えられ、田中れいなは端役であるだけでなく、店舗に常駐しないバイヤーの役を与えられ、新垣里沙が造反者、亀井絵里が共感者の役を与えられている。そのような役柄を彼女らが舞台の上で演じるのを見る、というメタ・ドラマなわけである。これは猛烈に面白い。モーニング娘。を知っている人にとっては。

 

田中れいなは幾度となくこの脚本家を憎んだと思うが、それも織り込み済みとして楽しむものなのだ、たぶん。でも、モーニング娘。のことを知らない人にとっては、田中れいなのあの投げやりな態度は単なるやる気のない役者でしかないわけで、そこのところにこの企画の根本的な問題がある。内輪受けはこういう小さな劇場を満員にするのに有効だが、外の世界には届かない。

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